青菜に塩
青菜に塩をかけると、葉や茎に含まれた水分が外に吸い出され、しおれてしまうことから、急に元気をなくしてしょげるさま。
痛む上に塩を塗る/傷口に塩
痛い傷口の上に塩を塗れば、しみて一層痛くなることから、悪いことの上にさらに悪いことが起こって、辛さが増すことのたとえ。
うまいまずいは塩かげん
調味料もいろいろあるが、微妙な違いで塩ほどに味を左右させる調味料は他にない。「包丁10年、塩味10年。」と言われるように、塩の味つけをマスターするには、よほど熟練を要するらしい。味のきめては塩かげんであるという意味。
閻魔が塩辛を嘗めたよう
にがむしをかみつぶしたような、むずかしい顔をたとえていう。「閻魔が抹香を嘗めたよう」とも言う。
河童に塩を誂える
海でとれる塩を、川に住む河童に注文することから、見当違いの注文をするたとえ。
塩売っても手を嘗める
塩売りが手についた塩を無駄にするのを惜しんでなめることから、商人が商い物を少しも無駄にしまいとすること、或いは、つまらないことにまで気を使って、けちけちすることのたとえ。
塩が浸む
世の中の苦労を体験すること。
塩も味噌もたくさんな人
日本人の食生活にとって、塩や味噌はなくてはならない大切なものであるところから、確実な人を表す言葉。ヨーロッパにも似たことわざに「塩の豊かな人」があり、この場合もすぐれた人、教養のある人を表現するときに用いる。
しおらしい
控え目で、慎み深く、可愛らしいこと。封建時代、塩が手に入りにくかった百姓の女たちは、たびたび出陣する武士が持つ塩包みに目をつけて言い寄った。しかし彼女たちの態度は、いかにも恥ずかしそうで、塩欲しさの素人の言い寄りとすぐに見破ることができた。「しおらしい」とは、“この塩が欲しいんだなと察しがついていた”が転じた言葉。
塩を売れば手が辛くなる
塩売りの手が辛くなるように、職業上の習慣が身について、第二の天性のようになることのたとえ。
塩を踏む
世の中に出て苦労を重ねる。
塩食った報い
悪いことをしたために、自分の身に受ける苦しい報い。
地の塩
塩が食物の腐るのを防ぐことから、少数派であっても批判的精神を持って生きる人をたとえていう。
敵に塩を送る
敵対する相手が困っている時に助けの手をさしのべることのたとえ。敵の窮地を救うこと。戦国時代、今の山梨県と長野県周辺に領地を持つ武田信玄は、塩を輸
送している道を閉ざされ、塩の欠乏に苦しんでいた。そこで、海に近い上杉謙信は、敵の信玄を攻める最大のチャンスにあえて戦をせず、逆に塩を送って助けたという。この戦国美談が後世に語り継がれ、ことわざとなった。
手塩にかける
自ら世話をして、いつくしみ育てるの意。自分の手で塩をふり時間をかけて漬け込む漬物や、掌いっぱいに塩をつけて握りしめるおむすびのように、昔から手に塩をつけて丹念にものを作る行為には、愛情が込められている。
手前味噌で塩が辛い
自分がつくった味噌だと塩辛くても本人だけはおいしいと思っているということから、自慢ばかりするので聞き苦しいことのたとえ。自分の作った味噌なら、たとえ塩辛くてもおいしいと感じることから、自分のやったことなら、何でも良いと思うこと。自分の都合のいいように解釈すること。「我田引水」と同じ意味。
蛞蝓に塩
なめくじに塩をかけると縮むことから、すっかり元気がなくなることのたとえ。また、苦手なものの前に出て萎縮してしまうことのたとえ。
熟れてのちは薄塩
漬物はまず濃い塩で漬けておいて、よく漬かったら薄塩で漬け直すのがよく、人との交際も同じで、互いに馴れてからは少し淡白なくらいにしたほうが、うまくいくということ。なお、交際は始める時には最初から甘い顔を見せない方がよいという意にとる説もある。
米塩の資
米と塩は、生きていくうえで、食生活に於いて不可欠であることから、生計を立てるための費用、生活費のことをいう。
味噌に入れた塩はよそへは行かぬ
味噌をつくるときに加えた塩はやがて見分けられなくなるが、味を調えるために役立っているの意から、他人のために手助けしたことは、その場で無駄なことのように思われるが、後になってみると、結局は自分のためになっているものであるという教え。
よい塩梅
「塩梅」という言葉は「塩」と「梅酢」からできた言葉で、昔、味噌や醤油、酢などの調味料がなかった時代に、調味の基本は塩と梅酢だけであった。あらゆる料理の味は、塩と梅酢のさじ加減で決まったので、味つけのことを塩梅と言うようになった。それが体の具合にも使われるようになった。